12/5,6とJALOカンファレンス@大阪に参加して感じたことを備忘録的に書いています。今回は後編です。
後編は、カンファレンス2日目の最後のプログラム、本部スタッフの渡邊奈都子さんのクロージングワークショップ「人生100年時代を考える ウェルビーイング的ライフオーガナイズのすすめ」より。
「楽」なのは本当にいいことなのか?
ほかのライフオーガナイザーの方々のレポでは、「つながり」とか「健康」とかに触れている方が多いので、私は「楽」について触れたいと思います。
前編の、AIについての話とからめての、「楽」です。
「楽」にもいろいろ
「片づけ」という言葉もそうですが、日本語ってファジーな言葉が多い言語ですよね。
「きちんと」とか「すっきり」とか。
ファジーだから便利に使えることもあれば、ファジーだからこそ会話がすれ違ってトラブルになることもあります。
講座冒頭、奈都子さんの、「協会理念の『もっと楽に、もっと生きやすく』の、「楽」にも「生きやすく」にもいろいろある」という話から、本題のウェルビーイング的ライフオーガナイズの話に入っていくのですが……
「確かに、一言で「楽」って言ってもいろいろあるよなぁ」
と思ったわけです。「楽しいこと」と「楽なこと」って違いますもんね。
「楽」すぎると退屈
普段私(たち)は、「片づけで大変な思いをしている人が少しでも楽になる」ために、オーガナイズサポートをしています。
苦労を楽にするお手伝い、いや、苦労を取り除くお手伝いといった方が近いのかも。
今まで不便だったことがなくなって便利になることで楽になります。こと「片づけ」に関して言えば、大変よりも楽のほうが絶対いいとは思います。
が。
楽すぎるのはつまらない
講座で奈都子さんが『フロー状態』について説明してくださったんですが、フロー状態※はスキルとチャレンジのバランスがとれている時に起こるそう。
※フロー状態=時間を忘れて何かに没頭している状態
「簡単にできる(スキルがあるのにそのスキルをつかわなくてもできる)ことをやっている状態は退屈」と聞いて思ったのが、暮らしが楽になりすぎるとつまらない暮らしになってしまうのではないか?ということでした。
よりよく生きるための3つの人生
奈都子さんから教わったのは、「楽しい人生」「充実した人生」「意味ある人生」の3つ。
確かに、必ずしも「楽しい=充実した」とは限らないですもんね。
楽しくない、大変だったことも振り返ってみたら充実していたことってありませんか?
私の場合、高校時代の部活かな。365日のうち感覚としては350日くらい部活やってた気がします。ハードでしたが、その苦労を共にした仲間とは今もやりとりが続いています。
「楽」するのだって全然いいと思うし、つらいことや苦しいことよりも楽しいことがたくさんあったほうがもちろんいいです。
けど、もし毎日楽しいことばっかりだと、そのうち楽しさに慣れてきてもしかしたらだんだんつまらなくなってくるのかもしれません。
よりよく暮らすためには、「楽」以外もバランスよく入っている人生がよさそうです。
余談ですけど、「片づけたら幸せになれます」って言葉。
この手の、ホントは因果関係ないのにさも「そうですよ!」的なこと、私は絶対に言いませんけど(苦笑)
片づけたことで幸せになった人って、片づけが楽になったことでできた時間や気持ちの余裕を別のものに向けるようになったことで幸せな暮らしを手に入れた。幸せになったというよりも幸せにしたんだと思います。
もしもAIが、暮らしの中の「当たり前」な存在になったとき
最後に。
いつの日か、暮らしの中に当たり前にAIが存在する時代がきたとしたら。
今まで人がやっていた片づけが、AIにとって代わるようになったとしたら。
今は「できるだけ楽に簡単に済ませたい」片づけが、もしかしたら「手間を掛けてやる価値のあること」になるのかもしれません。
鍋釜でご飯を炊いていた時代から、炊飯器ができたことでご飯を炊くのが便利になったけれど、その便利な道具を使わずあえて鍋を使ってご飯を炊くことに価値を感じている人が今の時代いるように。
飛躍した考えかもしれないけれど。
となると、私たち片づけの仕事って、今の時代は暮らしを楽にするためにやっているけれど、将来的にはやっていることは変わらなくても、暮らしを楽にするためではなくてより充実した暮らしを送るためのものになるのかもしれません。
そう考えると、ちょっとおもしろいなぁなんて思ったりします。
AIが当たり前の時代がいつの日か来るであろうけれど、その時が来ても「もしかしたら『人による片づけ』は、技術として残るのかもしれないなぁ」と思ったカンファレンスだったのでした。
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